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「掛軸 橋本雅邦」
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掛軸 橋本雅邦
「林間残照図」という世界的にも重要である大作を描き上げ、日本美術界を変化させていった大人物こそ、掛軸買取 橋本雅邦です。重要文化財としての作品なども描き、まさに日本画の一時代を築き上げた後継者として、現在でも高く評価され続けています。さて、そんな橋本雅邦は1835年に、埼玉県に生まれます。川越藩の御用絵師、木挽町狩野家当主晴川院養信の高弟として、その敷地内で育った経歴があります。幼少から、父が描く狩野派の指導を受けており、自然と絵画の道を志すようになります。僅か12歳という若さながら、正式に養信に入門をします。しかし、師がすぐにこの世を去っているので、結果的には勝川院雅信に教えを乞うことになったと言われています。鋭敏で先鋭的な才能を持ち合わせていた橋本雅邦は、現在の狩野派の在り方に異論を持ち、常に斬新な世界観を求めていました。結果、23歳で塾長となり、芳崖に狩野勝玉、木村立嶽と共に勝川院門下の四天王と称されるほどでした。1860年には、ついに雅邦という号を貰い、絵師として独立することとなります。しかし、順風満帆という生活を送ることができず、明治維新、木挽町狩野家は火災で焼失などのトラブルで、財産などを焼失してしまいます。しかし、この絵画を描くことが困難であった時代を切り抜けた橋本雅邦は、世界的な活躍を見せて行きます。フェノロサによる伝統絵画の復興運動に刺激を受け、画風が一変。1882年の第一回内国絵画共進会に出品した「琴棋書画図」が銀印主席を獲得。さらに、「竹に鳩」(が宮内省の御用になるなど才能を世に知らしめていくのです。さて、そんな橋本雅邦の名作「林間残照図」ですが、日本美術院創設後に日本画の在り方を見直すために描かれた作品と言われています。水墨画のテイストを持ちながら、印象派の絶妙な描写、そして光りの明暗など、全てが完璧です。この作品は、万国博覧会に出品され、結果、最高賞を受賞した記念碑的作品となっています。掛軸買取においても、橋本雅邦の作品は非常に人気で高価買取で取引されています。芸術家としても活躍しながら、教育者としても多くの大画家を指導していた橋本雅邦。彼の存在があったからこそ、今の日本美術界があると言っても過言では無いのです。
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